私達は大人になると、
「お金」や「法律」に縛られた生き方をせざるを得なくなります。
ところが、本来、社会の根底にあるのは、「愛」や「思いやり」です。
この世に誕生した時は、ほとんどの方が、大きな愛に包まれ、命を守られてきたはずです。
人間ほど、生まれたばかりの状態が弱い存在はいませんから、
誰かに守ってもらわなければ、絶対に生きていくことができないのです。
ですから、今生きている人は、全員が、「愛」と「思いやり」で守られてきたことになります。
しかしながら、大人になるにつれて、何かに傷付いて、心を汚してしまう人がいます。
罪を犯してしまう人も、どこかで、何かに傷付けられたのでしょう。
「被災地で罪を犯す人も、愛で包むべきでしょうか?」
というご質問をいただきましたが、これはとても難しい問題で、安易には答えられません。
その被害者やご親族のことを考えると、胸が痛みます。
しかしながら、その罪を犯してしまった人も、根底には愛や思いやりがあったはずで、
どこかでそれを失われた人なのだという認識は大切だと思います。
社会の中で、誰もがそうなる可能性はあるし、周囲の人が「無関心」であったことが、
その方から愛を奪って孤独にさせた可能性もあります。
同じ社会の中に、罪を犯す人を生んだのは、自分にも何らかの責任があるかもしれない、という認識が重要だということです。
私も、暴力を振るった父に、包丁を向けたことがあります。
母の愛に守られて思いとどまりましたが、もう少し歯車が狂っていたら、私も、罪を犯してしまっていました。
このような経験から、私は、「自分の核に「愛」と「思いやり」がある」
という確信が、人を強くすると考えています。
罪は、法律で裁く必要性もありますが、罪を犯してしまう弱い人を生み出さない努力を続け、
愛で守っていく社会にすべきだと、私は思うのです。