幸せな時間には、多くのお金は全く必要無いと最近強く感じます。
今や、一部屋に一台のテレビとパソコン、
一家に一台以上の車が当然のようにある社会です。
この地球上で、
これだけの豊かさを享受できているのは
ほんの一握りの人間だけなのですが、
私達日本人が幸せで元気だとは、決して言えません。
手のひらには、
スマホという最高の道具を誰もが持ちますが、
その素晴らしい道具をどれだけ使いこなしても、
夢を描くことができていません。
それらに反して、毎年、3万人もの尊い命が、
自ら死を選んでいるという事実が横たわります。
その原因は経済的な不況だと言われますが、
景気が回復すれば、本当に解決するのでしょうか。
私は、問題の本質はもっと深いと考えています。
それは、日本社会の多くの人が、
「生きる意味」を見失っているということです。
その証拠に、私達は自分で生きる意味を定義できず、
目の前の「数字」に振り回され過ぎています。
例えば、年収を周囲の人と比較しては、
その数字だけで勝った負けたと考えます。
あるいは、テレビの世界では、
視聴率の数字だけで、当然のように、
勝ち組、負け組みが決まりました。
しかしながら、年収が高い人が、
その収入を得るために睡眠を削り、命を削っていたら、
本当に「勝者」でしょうか。
働くことばかりで家族をないがしろにしていたら、
それは幸せなことでしょうか。
視聴率20%の番組より、5%の番組は
中身も確実に劣っているのでしょうか。
このように、
数字では見えない世界がそこにはあるはずなのに、
私達は数字に依存し過ぎだと思うのです。
そうして、自分でその本質を考えず、
表面の数字だけに縛られ、他人の欲求を生きるのです。
学校の成績も、自分の収入も、所有物も、
誰かの欲望を自分の欲望と勘違いしたまま、
生きる意味までをも奪われているのです。
ですから、私達は、他人の目など気にせずに、
自分の人生を堂々と生きていくべきだと思います。
収入も消費も、数字だけを重んじて
ただ単に「高額」を求めるのではなく、
自分にとって譲れないもの、
絶対に守りたいものを大事にして判断すべきなのです。
このような意識を持って、
誰かから「生きる意味」を押し付けられるのではなく、
私達一人一人が「生きる意味」の
創造者となれるよう、人生を真剣に考えたいですね。